INTERVIEW

2023.11.12

数々の超大物アーティストを輩出した伝説の音楽プロデューサーが語るプロデュースシンキング®︎の必要性

今回は、「プロデュースシンキング®︎」の賛同者 株式会社カインドウェアアドバイザー顧問 海外戦略担当 稲葉 瀧文氏と金田 隼人氏の対談をお届けします。

稲葉 瀧文 氏

音楽プロデューサー&ビジネスプロデューサー 氏

CBSソニー(現SONY MUSIC ENTERTAINMENT)在職中数々の賞を受賞。矢沢永吉、浜田省吾、ハウンドドッグ、五輪真弓、渡辺真知子、SHOGUNなどの宣伝プロデュース。坂上忍、久保田利伸、おニャン子クラブ、河合その子、渡辺美奈代、小林麻美、大木トオルなどの制作プロデュース。また作詞家として河合その子のデビュー曲「涙の茉莉花LOVE」で日本レコード大賞「作詞大賞」を受賞する。2000年からは韓国に映画会社を立ち上げ「韓国ドラマ」を日本に紹介、2002年には中国に進出をして「女子十二楽坊」をプロデュース、1STアルバムは、空前絶後の世界的大ヒットを作り上げた。現在、創業128年宮内庁御用達のカインドウェアで「海外戦略アドバイザー顧問」として在籍している。また、その他専門学校理事及び各種NPO法人の理事として若者の育成と高齢者就労や地方再生の支援活動を行っている。 氏

稲葉:
そもそも、昔はプロデューサーという肩書き自体がなかったんですよね。取引先に「プロデューサーです」と伝えても、どういう仕事なの? って首をかしげる人が多かった。だから、自分が提供できる価値を知ってもらい社会的信用を得るために、名刺に手書きで「音楽プロデューサー」と書きこんだのです。今では音楽プロデューサーやビジネスプロデューサーなど、当たり前のようにプロデューサーという言葉が使われるようになりました。

金田:
稲葉さんはこれまでに歌手の久保田利伸さんや中国の古楽器演奏女性音楽グループ女子十二楽坊といった、数々のアーティストをプロデュースされていますよね。

稲葉:
はい。音楽に携わる仕事に就きたかったので、ソニーが設立したレコード会社でアルバイトとして働きはじめました。スタジオ配属となり、セッティングの図を頭に叩き込んだりマイクセッティングをしたりエンジニアの仕事を見よう見まねで覚えていきましたね。

ある日、スタジオで某有名歌手のレコーディングに立ち会った際、「ヒットするな」と直感したんです。そこで、宣伝プロモーションをやらせてほしいと立候補しました。

金田:
周囲の人はどんな反応だったんですか?

稲葉:
「本当にやれるのか」という声がありましたね。当然ですよね、スタジオのアルバイトでしかも業界未経験なんですから。「絶対やれますから」と説得して、その日からテレビ局や雑誌社を駆けずり回りました。老若男女を問わず幅広い世代の人に新曲を聴いてもらいたいと思ったので、ラジオ局や有線放送で流していただきました。レコード・コンセプト&タイトルが洋画から取り入れたので、全国各地の大学映画研究部に再上映推進委員会の葉書を送ったのです。曲がどんどん売れ始めて、ヒットチャートを総なめにしたヒット曲となりました。

金田:
そこからプロデューサーとしてのキャリアが本格的にスタートしたんですね。

稲葉:
その後、放送局や雑誌社から本社宛てに問い合わせがくるようになり、正社員として本社配属となりました。曲をヒットさせられるかどうかって、プロデューサーの手腕にかかっていると思います。

久保田利伸さんがデビューしたときも、「こういったジャンルの曲は日本で絶対に流行らない」と後ろ向きな考え方の関係者がほとんどでした。音楽業界での応援がなかったので視点を変えてライブハウスではなくファッション系の劇場でライブを開催してみたところ、チケットは即日完売。久保田利伸さんの楽曲は瞬く間に話題となり、1991年まで放送されていた生放送深夜番組『オールナイトフジ』で取り上げてもらえることになったんです。

数多くの音楽アーティストのプロデュース経験を通じて感じたのは、すべてはプロデューサーのもの売る判断力にかかっているということ。音楽関係者だけでなく、広告代理店や出版社、映画監督、ファッションデザイナーといったさまざまな領域の強みを持つメンバーが集まればヒット曲は生み出せると思っています。

金田:
稲葉さんは当時から顧客視点のマーケティングを実践されていたんですね。

稲葉:
当時から、世の中の情勢や時代の流れ、トレンドなども含めて人が何を求めているか常にアンテナを張って情報をキャッチアップすることを意識していましたね。インプットした情報は必ず紙に書き出すのです。そうすると、世間のニーズを可視化できるんですよ。

金田:
試行錯誤を繰り返しながら、顧客視点のマーケティングを少しずつ形にされていったんですね。アーティストの方ともコミュニケーションをとりながら、方向性を決めていたのですか?

稲葉:
そうですね。私がアーティストの方に最初に聞いていたのが、「好きな音楽をやりたい」「いい音楽を作りたい」「売れる音楽を歌いたい」どれを求めているのか。

厳しい言い方かもしれませんが、単純に自分の好きな音楽を作りたいのであればアマチュアの方が自由度が高いし、いい音楽なら音楽大学で音楽理論を徹底的に学んだ方がいい。ただ音楽が好きなだけでは食べていけませんから。

金田:
一番印象に残っているエピソードってありますか?

稲葉:
今までお会いしたアーティストのなかで一番印象に残っているのは、矢沢永吉さんですね。「日本のロックシンガーは30代で寿命が終わる。でも、海外には40代を過ぎても活躍しているロックシンガーはたくさんいる。俺は日本で最初のロックンローラーとして、60歳になっても武道館でワンマンライブやりますよ」って言ったんです。

金田:
9月14日に、11月開催の全国ツアー「EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2022~ONE FIFTY~」が発表されましたね。

稲葉:
本当に素晴らしいと思います。ロックシンガーとして長く活躍し続けるためのビジョンが明確になっていたんですよね。27歳の頃に言っていたことを実現したわけですから、逆にたくさんのことを学ばせていただきました。

また番組で着る衣装やCDジャケット&PVの撮影場所などを考え、アーティストをトータルプロデュースしていくのがプロデューサーの役割だと思うんです。学生時代に遊学したイギリスでの経験で多面的に物事を捉えられるようになりましたね。

今はビジネスプロデューサーとしてビジネスのアドバイスをさせていただけるようになったのも、これまでの経験があったからこそです。

金田:
稲葉さんは現在、ビジネスプロデューサーとしてご活躍されていますよね。仕事においてどんなことを大切にしていますか?

稲葉:
やっぱり一番は、カスタマーファーストですね。プロデューサーに限らずどんな仕事もそうですが、常にお客様視点に立って考え行動することが大切だと思います。

金田:
お客さんが笑顔になるかというところは、全てのビジネスに共通することですね。プロデュースシンキング®︎の研修でも必ず「ビジョンを作りましょう」とお話させていただいています。どうなりたいか、何を実現したいかを明確にすることで、正しく成果に向かうことができますよね。

プロデュースの思考や視点、マインドを身に付けるためのメソッドを今も日々研究しています。これからプロジェクト型の仕事に切り替わっていくなかで、プロデュースシンキング®︎が提唱しているマインド・ビュー・ポイントスキルのアップデートは必要不可欠ですから。

稲葉:
みなさまに僕の経験や知見を活かせたらと思っています。70歳を過ぎてもプロデュースのお話を沢山いただけるのは本当にありがたいですね。今まで大変なこともありましたが、諦めなくて良かったなと思います。これからはアジアの各地に市場開拓で出かけます。これも含めてプロデュースシンキングへのアドバイスが出来ればと思っています。

金田:
ありがとうございます。稲葉さんにそう言っていただけて、本当に心強いです。引き続きぜひご一緒できるよう、私自身もスキルアップしていきたいと思います。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。